INTERVIEW 2019.3.25

「日本発、世界」をテーマに、クリエイターを支援する

日本の文化を世界に――。Wanoを創業した野田威一郎(いいちろう)は、社名のWano(和の)とともに、「日本発、世界」に対して人一倍強い思いを持っています。その想いの原点に触れながら、Wanoのこれまでとこれからを野田が語ります。

学生時代の個人事業をへて、新卒で「社会勉強」を決意

Wanoを創業したのは2008年、29歳を迎える年でしたね。でも、自分で会社をつくる・ビジネスをすることの原体験は、学生時代にさかのぼります。

学生時代のぼくは、オーガナイザーや来場客として、クラブやライブハウスによく足を運んでいました。そこは音楽業界以外の人も含めたクリエイターが集う場。個性的でおもしろい人たちが多くて、「モノづくりをして将来頑張っていこう!」みたいなエネルギーや発想が刺激的で、魅力的だった。自分でもいくつか仕事をしていました。バーとかクラブとかで、いわゆる時給制のアルバイトもやっていたんですが、それよりも楽しかったのが、成果に対して報酬を得られる仕事です。

大学3年生のころには、音楽イベントで配られるフライヤーなどのデザイン・印刷代行を個人事業主として始めました。最初はデザイナーをやってみたかったことと、生活資金を稼ぐためくらいの気持ちだったんですが、自分がつくったものに対して成果が返ってくることが楽しくて。

デザインを任せてもらうために、印刷代を他よりもおさえる工夫をしたり、仕事をとってきた分だけ収入が増えたり。クラブでも単にアルバイトをするのではなく、イベントのオーガナイザーとして成果報酬で仕事をする側に回ったりと、このころの体験が事業家としてのファーストステップでした。このまま卒業後も自分で何かをつくって生きていこうかと漠然と思っていましたね。

でもある出来事をきっかけに考えが変わったんです。

21歳くらいのころ、大きなダンスイベントの印刷物をすべて請け負うことになったんですが、突然仲介してくれたプロデューサーとの連絡がつかなくなって。イベント主催者はすでにプロデューサーに費用を払い、ぼくもかなりの部数の印刷を自腹で負担したあとのことで、結果的に200万円、学費も合わせると300万円ほどの損失を抱えることになりました。

初めてキャッシュフローが回らない経験をして、自宅兼オフィスの家賃が払えなくななり、結局引き払って実家にしばらく世話になることになりました。留年もするし、ちょうど家族が体調を崩したのとも重なり、本当に大変でしたね。

そのときにふと、「このまま社会に出るのは結構厳しいな」と思って、一度きちんとビジネスを勉強したいと考えたんです。

会社が持つエネルギーとIT業界の可能性に惹かれ、上場前のベンチャーへ

そんな学生時代をへて、会社できちんとビジネスを学ぶために、できる限り少人数で権限を与えてくれそうなベンチャーがいいなと思っていた僕は、成果報酬型(アフィリエイト)広告を取り扱うアドウェイズに新卒で入社しました。

そうはいっても、当時のアドウェイズは今のように最新設備のビルに入居し、業界では知らない人がいない企業ではなく、30人規模のまだまだ知名度が低いベンチャー企業でした。選んだ理由は、ITだけでなく成果報酬型の広告という広告業界でも最先端の事業を手がけていて、学生時代に刺激を受けた出会ったクリエイターに近いエネルギーを感じたこと。社長と副社長の関係性やバランスも良さそうで、組織をつくるうえで参考になるのではと考えました。

結果的には、東証マザーズに上場するまでの、ものすごい成長期にマネージャーや事業立ち上げを経験し、その後につながる多くの財産を得ました。

そして、「この会社で培ったWeb・IT業界での経験を生かして、音楽をはじめとしたクリエイターたちとかかわるような事業をつくりたい」と思い、29歳で独立を決意。当時はまだ縁遠かった音楽シーンとITをつなげる第一歩を踏み出しました。

自力での資金稼ぎからスタート。音楽とITをつなげるまで

僕らWanoが掲げている、「クリエイターを支援する」というビジョンは、このころから輪郭が形づくられてきています。

でも、出資を受けずにスタートした会社なので、まずはやりたい事業のために元手を稼がないといけなくて。僕や当時のメンバーが、それぞれの得意分野で広告やメディア、受託開発などさまざまな仕事をしていました。

そのかたわら、当時流行っていたSNSのアプリとして、日本中のクラブのイベント情報を一覧でき、ユーザーがシェアできるTERMINALというサービスをようやくローンチしました。でも、新興サービスとして登場したFacebookへのユーザー流出などもあり、このサービスは頓挫します。このほかにも「これをつくりたい」というアイディアを役員が出し合っていくつもサービスの立ち上げを試みました。でも失敗の連続でなかなか結果を出ませんでしたね。

そこでヒントになったのが、発売から着実に販売数を伸ばしていたiPhoneとともに普及したスマートフォンアプリです。このころ、2000年代後半から始まったiPhoneをはじめとするスマートフォンによって、「アプリクリエイター」と呼ばれる人たちが注目されるようになっていました。“個人による作品制作”という意味ではアプリも音楽も一緒です。そこで、「なんで音楽で同じことができないんだろう?」という疑問が浮かびました。友達や当時音楽活動をしていた昔の仲間に色々と聞いてみると、アメリカには海外では個人が音楽を販売するためのサービスがあるみたいだと教えてくれました。それがiTunesをはじめとした、音楽プラットフォームへの楽曲配信をサポートする「TuneCore」です。

それからはインディーズで活躍する国内のアーティストや、Web・IT業界の人など、会う人に手当たり次第TuneCore関係者の知り合いがいないかとにかく聞きまくりました。

そして、知り合いのそのまた知り合いを通じて、なんとかスカイプの打ち合わせまでたどり着くことができたんです。聞いたこともない、日本の、しかも当時創業3年くらいの小さい会社でしたけど、日本の音楽シーンにおける課題や自身のクリエイター支援に対する想いを伝え、TuneCore Japanの共同立ち上げにこぎつけました。最初に構想してからサービス立ち上げまでには2年かかりましたね。

もちろん本国側との交渉などで苦労はありましたが、その後の日本の音楽業界への普及にも多くのハードルがありました。

今でこそ、個人がインターネットを通じて音楽や動画などの作品を発信し、それが瞬く間に、国境や言語を超えて広がっていくことはよく聞くストーリーのひとつになっています。でも、TuneCore Japanを立ち上げた2012年は状況が違いました。当時はまだ事例が少なかったこのストーリーを、アーティストや提携先となるプラットフォーマーに説き続け、その中からようやく、ヒットを出すような人たちが出てきたんです。

クリエイターと対等の立場でパートナーシップを築きたい

僕らがWanoで実現したいのは、日本の文化を世界に届けること。それを実現するためにはクリエイターと対等な関係を築くことができるサービスでなくてはいけないと思っています。

僕らにとってのクリエイターというのは、分野は違うけれど、何かを生み出すというクリエイティブな活動をする仲間のような存在です。クリエイターたちは音楽や映像などの作品を生み出し、僕らはWebサービスという作品を生み出す。
どちらかの立場が上なのではなく、それぞれが最先端を目指しつつ、一緒になることで互いの価値を高め合う、同じ目標を目指すパートナーとして成長していけるような関係が理想的です。

会社もサービスも、成長し続けなければ一過性のもので終わってしまう。最近のWebサービスは特に、すぐ似たようなサービスができて激しい競争が始まります。
そんななか継続的に成長していくには、利用者であるクリエイターが満足できるサービスであることも重要ですが、一緒にもっと先のゴールを目指すことができる環境を用意することが必要不可欠だと思っています。

Wanoが手がけているのは音楽だけではありません。TuneCore Japanの基盤を生かしながら、映像作品におけるクリエイターを支援する「Video Kicks」というサービスも新たに展開しています。 映像は音楽よりもさらに、予算やスタッフによってコンテンツの完成度に差が出る分野です。2019年3月の時点では取り扱う映像はミュージックビデオに限られていますが、今後は映画や短編、ドラマなどもNetflixやHuluなど世界中に配信できるようにしていければと思っています。

映像以外にも、Wanoのメンバーが取り組みたいテーマでもサービスを提供していきたいと考えています。そのために、僕たちが取っているのは「サテライト」というスタイル。事業ごとに「あえて小規模のチーム」を別会社にしていきます。。そうこうしているうちに、グループ会社は6社まで増えました。

今でこそ、フリーランスの融合体であるギルドや、ホラクラシー組織などが注目され始めていますが、Wanoでは、それらに近い組織体制が創業時から根付いています。あえて細かいルールをつくったりせず、「クリエイターや作品を世界に届けるための支援」というビジョンに対して、それぞれのメンバーが自分のバックグラウンドを重ねていく。そうすることで、これからもさまざまなサービスがWanoから生まれていくと考えているからです。

アーティストやクリエイターの個だけでなく、社員みんなの個も生かせる環境でありたい。これからも、音楽や映像をはじめ、いろんなサービスを生み出す集合体として僕らは走り続けていきます。