INTERVIEW 2019.8.2

前で引っ張るのではなく、後ろから後押しする。シャイなVPoEが目指すエンジニア文化作り

社内のエンジニアから絶大な信頼を寄せられる役員がいます。それは創業初期からWanoにエンジニアとして参画するVPoEの橋本誠良です。「あまり自分が前に出るのが好きではない」と話す彼が“パパのよう”と称される温かさでエンジニア達を見守り続ける背景には、SIerとして客先常駐を続けた経験がありました。

就職氷河期に突然の大学中退、なんとなく始まったエンジニアのキャリア

私がエンジニアの道を選んだのは、成り行きで、なんです。熊本の大学の経済学部に通っていたのですが、ちょうど就職氷河期で、大学の先輩が就職に苦労したり、希望通りの会社に就職できなかったりする姿をたくさん見ていて……。このまま大学にいてもあまり意味がないなと感じ、2年生で大学を辞めてふらふらしていました。

さすがにそろそろ仕事をしないといけないと思い、神奈川県の親戚の家に居候をさせてもらって仕事を探していて、なんとなく応募した中小SIerの求人に受かったので入社したんです。

とは言っても、当時持っていたITの知識はほぼゼロ。子どもの頃にパソコンで遊びのプログラムを書いたことがあったくらいでした。だから入社当初はWindowsのシャットダウンの仕方もわからなくて(笑)。ちょうどIT系バブルの走りで人手が足りなかったこともあって、入れたんだと思います。

そこから大手電機メーカーの工場の社内SEとして派遣されて、電話交換機の基盤版管理システムの運用・保守や、工場で働いている人たちのパソコンのセットアップなどを行いながら、プログラムも書くようになりました。でも、プログラムがある程度できるようになっても、あまりおもしろさを感じなくって……。

そこで、ちょうどGoogleが出始めのころだったため、インターネットのサービスがやってみたいなと思い、WEB系の仕事も受託しているSIerに転職しました。ほとんどがSESなど受託の仕事だったんですが、気づいたらそこでリーダーやプロジェクトマネージャーもやるようになっていきましたね。

その後に転職したパッケージソフトウェアメーカーでは、入社後すぐにプロジェクトに配属されて、3年くらいずっと客先に常駐、多いときでは40人くらいをまとめてプロマネをしていました。

電機メーカーの工場でヘルプデスクのようなことをしていたときは、工場のおじちゃん、おばちゃんが困っていることを助けてあげて、ありがとうって言われるとなんだか嬉しくて。SIerの仕事は現状困っていることをシステムで工夫して解決してあげるという仕事なので、そこはやっていて楽しかったです。これは今も同じで、こういうアイディアを実現するためにどうしたらいい?という相談を受けて、仕様を考えるところが一番好きかもしれないですね。

実は、SIerの時ときは上司とうまくいかないことが多かったんです。あるとき、常駐していた会社の障害対応で徹夜で作業しなくてはならなくなったのですが、私が外出先から戻ったら、上司が残っている部下を叱責していて。これから一生懸命朝まで頑張ろうとしている人間に何言ってるんだ、とブチギレてしまいました。普段現場にも来ないで、現実も見えていないのに正論だけ言って、ちゃんと地に足をつけて仕事をしていないのがすごく嫌だったんです。結局、その上司はプロジェクトから外れました。そんな感じで、現場に来ないで好き勝手を言う上司とは結構ぶつかっていました。

だから、どんどん任されるプロジェクトの人数は多くなっていったのですが、果たして会社から評価されていたのかはいまだに謎です。ただ、現場を大切にちゃんと地に足つけて仕事をするというのは、今でもずっと大切にしています。

その後、アフィリエイト広告を手がけるアドウェイズからヘッドハンティングされたのがきっかけで、初めて自社サービスを作るWEB業界に入りました。これまでずっと他社向けのものをつくってきたので、自社サービスをつくることに興味があったからです。入社してみたら、基本的にみんな会社にいるのが新鮮でしたね(笑)。私がいたようなSIerは客先に行って仕事をするのが基本だったので、社員同士でもほぼ顔を知らなくて。だから、会社でちゃんと仕事をするのが初めてだったんです。情報を共有したり、知識を教えあったり、自分の会社として、チーム感を持ってコミュニケーションを取れるのはいいなと思いました。

Wanoとの出会い、自分の力が一番生かせる場所を見つける

アドウェイズで半年ほど勤めた後、そこで出会ったエンジニア仲間と3人で起業しました。でも、若さもあって特に計画性もなく起業してしまったので、慣れない社長業にすっかり疲れてしまって……。ちょうどそのころに、同じくアドウェイズにいた野田威一郎、谷本啓、田村鷹正、加藤敦たちが立ち上げていたWanoから、一緒に仕事をしないかと声がかかったんです。

当時のWanoに在籍していたエンジニアは3人だけ。その一方ですでに稼働している事業もあって、新しいことをするのに手が回らない状態でした。それから半年くらい一緒に仕事をして、2011年、会社を畳んで正式にWanoに参加しました。決め手になったのは、自分の思考と同じくらいのスピードで話ができて、余計なことを説明しなくていいし、仕事がしやすいし、楽しかったこと。

そして、ぱっと見はすごくやんちゃでイケイケで、勢いだけで進んでいそうなんだけれど、音楽やエンタメに関わるサービスをつくるという自分たちがやりたいことを実現するために、収益を確保する手堅い事業などやるべきことをちゃんとやっている、ちゃんと地に足をつけて仕事をしているということも魅力的でした。

入った当初はみんな若くて、会社というより溜まり場のような感じでした。出社時間もめちゃくちゃで、午前中は人が少ないんです(笑)。私も14時くらいに会社に来て、17時くらいからゲームをみんなでやって、夜中に帰るっていうのをしたりしていました。

でも、やることはちゃんとやっていて、こういうことがやりたいよね、という話でよくみんなで盛り上がっていました。特に(野田)威一郎と(谷本)啓はずっとそんな話をしていて、それをつくるにはこうしたらできるんじゃない?と相談に乗ることも頻繁にありました。

私は、昔からあんまりアイデア出しがうまいタイプではなくて、どちらかというと、アイデアを実現するためにどういうものを用意しなきゃいけないか、どういう形をつくらなければいけないかという手段を考えるのが得意なんです。それは、SIerとしてクライアントの問題を解決するための仕組みを考えてきたことも影響していると思います。だから、アイデアをどんどん出してくれる人間がいるWanoだったら、自分の得意なところを生かして、彼らがやりたいことがつくり上げられるんじゃないか、そういう想いが強く湧いてきました。何より、みんなで一緒にものをつくるのは本当に楽しかったです。

自分たちのつくりたいサービスを生み出し続けるために

入社した当初は、私自身がっつり手を動かしてプログラムを書いていました。人もそんなにいなかったので、マネージメントするという意識は薄くて、とにかく早くきれいにつくることを心がけていたかもしれないですね。

そのうちに人がどんどん増えてきて、新卒も採用することになり、マネジメントに力を入れるようになりました。特に新卒はちゃんとマネジメントしないと育たないですから。

面倒見のいい社員の下につけて、技術的な基礎はそこで習ってもらいましたが、私自身はあまり手は出さずに、技術のチョイスの仕方とか開発の手法とかが変な方向に行かないように気をつけるくらいでした。

あとは、とにかくよく話をすることを意識して、「自分がちゃんと見られていない感」を出さないように、モチベーションが落ちないように心がけてきました。

それは、自分にはそういう人がいなくて放置されていたので、何か教えてくれたり、頼りにしたりできるような人が周りにいたらよかったなと思っているからです。これまでいろいろ会社を辞めてきたのですが、辞めた理由には、ここじゃなくてもよくない?っていうのがどっかであったと思うんです。この人とずっと一緒に仕事したい、という感覚を持ったことがなかったので、そういう人がいた方が、人は辞めないんだろうなっていうのを感じていました。

話しかける内容は、技術の話ももちろんですが、世間話やどうでもいい話もします。基本、ずっとパソコンに向かって仕事してるの疲れるでしょ?って思っているので。まあ、周りにはうるさいと思われてるかもしれませんが(笑)。

世間話をしていても、そういえばあれどうなってたっけ?と進捗を確認したり、なんか困ってることがないかなんとなく聞いてみたり。1on1のような格式ばった形で話すよりも、みんながいるなかでなんとなく聞いてあげた方がいいなと思ってますし、そういうやり方の方が性に合っています。

でも、それでも辞めてしまった人はいますし、マネジメントやチームづくりは難しいです。

これからも辞める人は出てくるかもしれませんが、それで関係が切れるんじゃなくて、勉強会やイベントに遊びにきてくれたり、外でいろいろ力をつけて出戻って来てくれたりするといいなと期待しています。

もちろん辞めないのが一番いいんですけどね。今、一緒にプロジェクトをやっている人たちはみんな大事なメンバーですし、これからも一緒にサービスをつくっていきたいと思っているんです。

「Wanoのエンジニア」と言われるために

2019年から自らの肩書きをVPoE(Vice President of Engineer)に変更しました。CTOが技術でみんなを引っ張って行くタイプだとすると、VPoEはみんなのモチベーションや働きやすさ、そういう技術面以外のところをきちんとフォローする役割です。私自身はそんなに技術を追いかけてるわけじゃなくて、どちらかというとずっと人を見てきたので、そのほうが自分にも合ってるし、やるべきことじゃないかなと。

これからの課題としては、もっと社内で情報共有をしたり一人ひとりが積極的に発信したりするようになってくれたらいいなと思っています。というのも、私にとってシステムの仕様を考えるときの感覚って将棋に似ていて、たくさんの手数の中から自分が一番いいと思うものを選ぶんです。もっと周りに関心を持って、経験したことや知っていることを共有し合えば、取れる手を一人で考えるよりも広く、深く、多くすることができて、知識やスキルの底上げにつながるのではないかと考えています。

私は、Wanoの価値は「自分たちがつくりたいものをつくり続けていくことにある」と思います。だからこそエンジニアには、そうやっておもしろいアイデアを形にできる力をつけてほしい。そしたら、新しいアイディアが出てきた時に、それをおもしろがって、ああした方がいい、こうした方がいいって楽しみながらつくっていけるような状況になるのではないかと思います。

それから、自分からどんどん発信したいエンジニアにも入ってきてほしいです。そういうエンジニアが活躍できる機会がWanoにはたくさんありますし、チームにとってもいい刺激になると考えています。

実際に、アウトプット力が高い社員が今年になって入社して、周りにも徐々に影響を与えてくれています。勉強会やセミナーの内容をQiitaで共有して、それが話題になったり参考になったりしていて、発信することは自分にも周りにもいい影響があるんだ、という空気感が出てきているような気がします。最近新しく始まったプロジェクトでも、エンジニアたちがアイデアを出しあい、もはや私の知らないような技術を選んで楽しそうにやってくれてるのですが、そういうのはすごく嬉しいです。

さらに、チームを超えたエンジニアたちのコラボで「音楽サービスエンジニアミートアップ」を開催し始めていて、Wanoグループ間での情報交換に繋がっています。こういう動きは大歓迎ですし、会社としてもサポートし続けたいですね。

理想は「Wanoのエンジニアって、こうだよね」という文脈で語られるようなエンジニア文化をつくることです。コードのきれいさとか、開発プロセスとか、その要素はなんでもいいので、たくさん情報共有や新しいことへの挑戦をしながら、自分たちの強みを見つけて、みんなでその「らしさ」をつくっていって欲しいですね。私は縁の下の力持ちのような後方支援担当で、それを支えていきたいです。